コラム

日々の弁護士活動に関する話題や、日常生活で感じた事、考えさせられた事などを取り上げてご紹介します。ご意見・ご感想などいただければ幸いです。

[ヨーロッパ見聞録]
勇敢な市民の街・ワルシャワ

ポーランドは実はかなりの親日国

ワルシャワ蜂起の記念碑

先日、出張のついでにポーランドの首都・ワルシャワを訪れました。 ポーランドというとあまり日本となじみがなさそうなイメージですが、実はかなりの親日国だそうです。
第二次世界大戦中には日本の同盟国のドイツに占領されていた国ですので、意外でした(ポーランドが親日的な国である1つの理由として、1918年のポーランド独立に際してソ連による虐殺等によって孤児となった児童(765名)を日本が受け入れてくれた(欧米諸国は全て断った)という歴史があるそうです)。

「ひび一本に至るまで」という情熱で復元された街

さて、ワルシャワを歩いていて驚くのが、ヨーロッパの都市なのに建物が殆ど新しいということです(ヨーロッパの都市には古い建物をそのまま遺しているところが多いです)。遠目にはシミなどがあるので古そうにみえるのですが、そのシミなども近くで見るとわざと書いているものだったりします。

というのも、ワルシャワは、第二次大戦中に、ドイツ軍による大爆撃を受けて建物の9割が破壊されてしまったからなのだそうです。当時、ドイツによって占領をされていたワルシャワですが、東側からソ連軍が侵攻してきました。ソ連軍は「一緒に戦えばドイツを撃退できる」とワルシャワ市民に決起を呼びかけました。1944年8月1日、ソ連による援護を期待してワルシャワ市民はドイツ軍に対して反撃を開始しますが、ソ連軍はワルシャワの手前で進軍を止めてしまいます(ワルシャワ市民とドイツを戦わせて双方を疲弊させた上でワルシャワを占拠しようという火事場泥棒の本領を発揮したソ連の作戦だったといわれています)。期待していたソ連軍の援助も無い中、圧倒的に火力で勝るドイツ軍に対してワルシャワ市民は乏しい武器で勇敢に孤軍奮闘しますが、決起から63日後、ついに降伏を余儀なくされます。この戦いの結果、ワルシャワの街は爆撃によって徹底的に破壊されてしまったということなのです(ワルシャワ市民の死者は20万人程度といわれています)。このワルシャワ蜂起の様子は、戦場のピアニストという映画に出てきます。

しかし、戦後、「ひび一本に至るまで」という情熱で市民はワルシャワの街を復元します。その情熱が評価され、ワルシャワ歴史地区は1980年にユネスコ世界遺産に登録されることとなりました。

1989年の民主化まで長く苦難の歴史が続きました

労働者のデモ行進

なお、戦後、ポーランドは独立を果たしますが、1989年の民主化まで長くソ連の支配下に置かれることとなり、苦難の歴史は続きました。。。

メーデーが近かったためか大規模な労働者デモ(写真だと大規模に見えませんが、とっても大規模でした)が行われていました。ポーランド国旗を持っているところが日本の労働者デモとの大きな違いですね~。苦難を乗り越えてきた国民だけあって、労働だとか、権利・義務に関する考え方が根本的に違うのだろうな~と感じます。

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